物事を見つめ、知り、学ぶ・・・そんな簡単なことから始めたい
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http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/news/1327404959/

わいせつDVD3店舗摘発 10万枚以上押収 売り上げ15億円超か 

無修正のわいせつDVDを販売目的で持っていたなどとして、警視庁保安課は、わいせつ電磁的記録販売目的所持などの疑いで、
東京都新宿区のわいせつDVD店勤務の住所不定、横山城(くに)工(のり)容疑者(39)ら男計6人を逮捕した。同課によると、全員、容疑を認めているという。
少なくとも平成16年8月から約15億8000万円を売り上げたとみられる。


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性欲に関するものは儲かる

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山一證券 wikiより


法人営業への注力
もともとは、個人顧客を相手にした証券会社だったが、戦後から法人営業に注力し、大口の物件を取る方針をとっていた。不況時には、企業の投資枠縮小に遭って業績不振に繋がった。また、相手が法人であることから、運用利回り保証や損失補償を迫られ、運用上の足枷が大きかった。
また、一任勘定で発生した損失を引き取らせる事が困難で、それを山一側で引き受けざるを得ない状況に陥った。これが簿外債務となり、破綻の直接の原因となった。つまり不況による法人の弱体化、それによる株の損失が引き金となって自主廃業に追い込まれたのであり、このような経緯から山一の破綻はいわゆる「平成不況」の象徴的事例としてさまざまな場面で引用されることとなる。


日銀特融の経験
1964年から1965年の証券恐慌に際して、銀行出身者の日高を社長に迎え、リストラを行っていた。これが報道機関や顧客には山一の危機と映り、取り付け騒ぎを起こした。不安を解消するために日銀特融を受けて会社組織の再編を行ったが、その直後にいざなぎ景気が到来し、特融を早期に返済することが出来た。
この経験が、あと少し頑張れば自力で再生できたという記憶を残した。バブル崩壊に際しても、しばらく持ちこたえれば日本景気が上向いて業績も回復し、簿外債務、含み損も消せるという期待に繋がり、損失を適正に処理することを躊躇させた。


銀行出身者の排除
銀行出身者の経営陣がリストラを行った事が取り付け騒ぎ、そして特融を受けざるを得ない状況へ追い込まれた原因と見る向きから、社内には銀行出身者を快く思わない風潮が蔓延し、排除する動きに繋がった。これは、山一が破綻に瀕した際に、銀行の積極的な支援を得られない要因ともなった。



法令違反
運用利回りの保証、損失補填、一任勘定については、1980年代末より批判が高まり、1991年に法律で禁じられた。しかし、表向きはこれらの行為が無くなっても、裏では一任勘定が継続され、含み損を抱え込んだ。後にこれらは簿外債務として山一の子会社に移された。これらの債務は決算の度に飛ばしで隠蔽されており、粉飾決算を行っていたことにもなる。
また、総会屋を中心とする相手に対する不正な利益供与についての捜査も行われ、証券業界がダーティーな印象を持たれた。粉飾決算の件も含めて違法行為を行ったとみなされたため、特融を受けての再生は認められず、自主廃業を選択せざるを得なかった。


一部社員・企画室・MOF担による専断
東京大学出身者を中心(滅びの遺伝子 山一證券興亡百年史: 鈴木 隆)とする一部の社員が、会社としての指揮命令系統やコーポレート・ガバナンスを無視して重大事項を専断していた。そのため、一般社員や取締役の一部の者ですら知らないところで膨大な簿外債務が生み出されていった。


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その1
含み損を処分しないこと

その2
勝手に異常な損を生み出す愚かな社員を存在させること


は企業経営にとて致命的といえる

餃子で有名な鈴鹿市の破天荒であるが、
この店は鈴鹿のホンダ工場の側にある

当然、あのホンダの工場なので規模がとてつもなく大きいのである
ということはそれだけ人間が多いということ

そしてよい商品を提供すればそれだけ流行りやすいということである


テレビ番組より

ロシア5000億富豪
養蜂業で財をなし、当時ソ連の薬は国営事業で質が悪く
民衆は欧州から質のよい薬を高い金を出して買わねばならなかった
民営企業も製薬できるようになったのですぐさま参戦
あっという間にロシアナンバーワンの製薬企業となった

タイ年商600億富豪
サラリーマン、公務員を20年続け、起業したくなったので退職
鶏を100匹買って繁殖させ、鶏肉を売る会社を始めた
当時、タイでは鶏肉料理がメジャーであり、需要があった
しかし、タイの鳥は硬くて不味いためやわらかくておいしいアメリカの鶏を8匹輸入して
増やし続け、それを売り出したら大当たりであった
その後、鶏肉好きの日本に輸出を始め、これも大ヒット
今では世界中に輸出している

オーイズミ
お金を数えるのに面倒な時代であった
そこで金銭を測る機械を発明
パチンコホールでメダルを測る機械を発明
居酒屋がうるさいので個室型居酒屋を作ると女性にヒットし、100店舗でメイン事業に


3人とも豪邸にはプールが充実していた
やはり運動・健康が大事である

そして需要を衝くという店が億万長者になるのに重要である


ほかにヨシダソースなども出ていたが途中からだったのでよく分からず
ソース1つで財をなしたのは間違いない
ソースはおいしいならなくなったら何度でも買ってくれる
こういう回転性のあるビジネスは儲かる

例えば、美容外科手術は儲からない、一度やれば二度とやる必要がないからである
美容外科より美容用品売るほうが儲かるというのが業界の常識である



井村屋設立 井村二郎氏

中日新聞より


「あずきバー」や肉まんなどで知られる井村屋製菓(現井村屋グループ、津市)を設立した初代社長の井村二郎(いむら・じろう)氏が6日午後零時24分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。96歳。三重県松阪市出身。

1896(明治29)年に父親が松阪市で創業した和菓子店を引き継ぎ、1947(昭和22)年に友人と井村屋製菓を設立。ビスケットやキャラメルなどを手がけ、年間2億本を売り上げるあずきバーや肉まん、あんまんなど次々とヒット商品を生み出した。74年まで社長、79年まで会長をそれぞれ務めた。

 5代目社長で、現在は同社シニアフェローの正勝氏(68)によると、二郎氏は当時、高価だったようかんを密封パックで長期保存できるようにして流通ルートに乗せ、大衆化を実現した。放送が始まったばかりのラジオで商品を広告するなど、斬新なアイデアで業績を上げた。

 正勝氏は「他人がやらないことをやる人。あずきの缶詰など最初は相手にされなかったが、周りの支えもあり具現化できた。いつもお客さんに喜んでもらうことを一番に考えていた人だった」と振り返った。


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斬新なアイデア
顧客主義
新商品の提供


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