物事を見つめ、知り、学ぶ・・・そんな簡単なことから始めたい
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YAHOOニュースより

売りも売ったり100万ドル!ジョブズ願望の起業家@16歳

ジョブズかっけー! ジョブズなりてー! と思うだけで終わらなかった。

彼の名はクリスティアン・オーウェンズ(Christian Owens)、歳は16。Appleスティーブ・ジョブズCEOにインスパイアされ、なんと2年で売上100万ドル(8621万円)を突破した若きミリオネア予備軍です。その軌跡を振り返ってみましょう。


このティーンは英国ノーサンプトンシャー州コービー在住。7歳で初めてコンピュータに触り、3年後Macを1台購入、独学でウェブデザインを習得して、4年後の2008年に14歳で最初の会社を始めました。

ご存知の方もいるかな? 「Mac Bundle Box」という至ってシンプルなサイトを始めたんですね。以下がそのスクリーンショット。Apple独自のデザインのガイドラインとスタイルに根ざしたキレイなサイトですね。


このページ上で、すご~く魅力的なMac OS X対応アプリケーションを集めたパッケージを割引価格で期間限定で売り出したのです。ちゃんと開発者に値段交渉して、割引き価格でアプリ売っていいという契約を取ってね。こうして生まれたバンドルは市価400ドルのところ、10分の1という驚きの出血プライス!

安いだけじゃありません。パッケージが一定数売れると、購入者全員に新アプリケーションをアンロックするというプロモートの仕掛けも用意したんですよ。これなら買った人たちが放っといてもクチコミで宣伝してくれますもんね。う~ん、うまい!

うまいだけじゃありません。なんと彼、全売上高から一定の歩合をチャリティーに回してるんです。ひょえーもはや偉人!
 

アイディアはビンゴ、大当たり、スマッシュヒット~! 彼の「Mac Bundle Box」は発売からたちまち2年で売上高100万ドル(70万英ポンド、8621万円)を突破します。

が、これぐらいの成功では飽き足らないミニ・ジョブズ。これと平行してペイ・パー・クリック広告の新規ベンチャー「Branchr」も始めたんです。サイトやiPhone&Androidアプリ合計1万7500件に月間3億件の広告を配信する会社です。同社の解説によると、こうしたプラットフォーム向けに「コンテキスト連動型、行動連動型、パブリッシャー定義、ジオロケ」のターゲット広告を配信してるみたいですね。

こちらも最初の1年でたちまち80万ドル(6900万円)もの広告収入をあげ、ついには大のおとな8人を従業員として採用するまでになったんでございますよ。うちひとりは、なんと43歳になる自分の母親! (くー、なんてラッキーな母親! 訳者も雇われたい!)

10年後の自分が何やってるかは想像もつかないけど、次にやりたいのはBranchrで売上1億英ポンドあげることなのだとか。この調子でいけばそれも夢じゃないかもね。売上高は2社合計100万ドル超えてるけど利益はまだそこまで行ってないので厳密には「ミリオネア」じゃないんですが、会社は順調に成長してると彼は言ってるし ―Branchrはもう別会社を1社買収済み― 利益はすべて会社の再投資に回してるそうなので。

成功の秘密? 秘密なんてものない...と彼は答えてます。

ビジネスには魔法の妙薬なんてものはない。コツコツ働き、やると決めたら曲げず、なにかデカいことをやってやるんだという気概あるのみ。
今の子どもは集中力散漫で阿呆になってるなんて誰が言った? えらいぞ、クリスティアン!

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16歳ですごいですね。
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岩崎弥太郎(三菱の始祖)が海運会社で東京⇔上海航路を米国海運会社と戦った際、徹底的な値下げ合戦でギリギリで勝ち、米国海運会社を撤退させました。しかし次にやってきたのは英国の海運会社。また値下げ合戦に入りましたが会社は火の車。

もう駄目だという時に考えついたのが荷為替制度。

積み荷を担保に荷主に金を貸し付けるサービスです。積み荷の代金を回収する前に資金を得ることが出来るため荷主には大好評。これにより岩崎弥太郎はシェアを一気に拡大して英国との競争に打ち勝ちました。

ちょっとのアイデアでユーザーに値下げ以上の効果を挙げた事例です。

盗聴容疑で2日に逮捕された武富士会長の武井保雄容疑者(73)は、団地の主婦相手に始めた貸金業を、一代で業界大手に育て上げた。自らも93年分の「長者番付」日本一にまで上り詰めた。その猛烈な働きぶりを評価する声がある一方で、「ワンマンで金に渋い」「暴力団など闇社会と関係があるのではないか」といった評もつきまとっていた。

 1930年1月、当時農村地帯だった埼玉県明戸村(現・深谷市)で生まれた。実家は酒や雑貨を売る店で、姉2人と弟1人がいる。終戦前年の44年に地元の国民学校高等科を卒業し、陸軍飛行学校に進んだ。戦後は家業を手伝い、地元の関係者が「自転車の荷台にせっけんや日用品を山のように積み込んで仕入れていた。支払いは必ず現金だった」と振り返る。

 上京後、ビルの窓ふきやパチンコ店の手伝いのほか闇米の販売に携わったこともあるという。

 66年に東京都板橋区の団地に住む主婦らを相手に「団地金融」を始めた。貸金業の始まりだ。

「無担保・無保証」「即日決済」と書いたガリ版刷りのチラシを郵便受けに入れて回り、顧客を増やした。
有限会社武富士商事から武富士と名前を変え、業績を伸ばした。


93年分の高額納税者番付で全国1位になった。武富士の店頭公開(96年)に備え、自社株を子会社などに売却したことなどにより、所得が約200億円にのぼった。その後もたびたび上位100位に名を連ねている。

 82年には杉並区の閑静な住宅街に、鉄筋2階建て(延べ床面積約1840平方メートル)の豪邸を建てた。総工費は約30億円ともいわれる。深い木立と鉄格子に囲まれた約4800平方メートルの敷地内には、住宅のほかプールや社員の研修施設「真正館」もある。宿泊する社員は1泊につき8000円を支払う。おにぎりと焼きそばが出る。

 正月にはここの大広間でカラオケ大会が開かれる。武井会長のおはこは「花と竜」や「無法松の一生」などだ。だが社員らは「カラオケの操作が遅れると飛ばされる。会長を待たせたら大変」と緊張していた。

 一方で出身地である深谷市の小中学校には輪転機や100万円単位の寄付を続けた。86、89年には市功労者として表彰された。

 暴力団との関係を指摘する関係者もいる。96年の店頭公開をめぐって右翼団体の街宣活動を受けた際、複数の暴力団関係者に処理を依頼したとされる。元渉外部長がその後、武富士に「店頭公開の成功報酬」の支払いを求めた民事訴訟(今年9月に最高裁で確定)で、暴力団関係者への依頼は事実と認定された。


http://www.asahi.com/special/takefuji/TKY200312020278.html
より



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